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June.22.Wed
【社長インタビュー(Vol.01)】中学生のときには社長になると決めていた
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Vol.02へ続く>社長インタビュー 起業して2年目、親の借金を背負う(Vol.02)
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ムーヴアクションの創業者、宇梶社長にインタビューしました!「モテにモテた」という学生時代のエピソードや、社長になることを決めた理由など、社長の魅力溢れるインタビュー全4記事、ぜひご覧ください。
宇梶:それが実は、小学生の頃はプロ野球選手になろうと思っていました。リトルリーグで野球をやっていて、体も大きかったから。
宇梶:今はさっぱりだけど、当時は日本で一番うまかったと自負してます(笑)ただ中学生になると、野球の世界は先輩の圧力が強くてね。野球は好きだから続けたかったけど、先輩の圧力が嫌でテニス部に入りました。
宇梶:本当!テニスはモテた!後輩に100人くらい女の子が入部してきたんですが、後から聞いたら半分くらいは自分目当てだったらしい(笑)野球の世界にいて周りが男ばかりだったから、キャーキャー言われて嬉しかったですよ。
宇梶:これが自分でも驚きなんだけど、小学生の頃の卒業文集には「プロ野球選手」じゃなくて、「マッサージ師になる」と書いているんですよね。プロ野球選手になれなかったときの保険で書いたんだと思うけど(笑)
宇梶:たぶん小学校の頃、先生のことをよくマッサージしていて、先生が「宇梶はマッサージがうまいな」と褒めてくれたからだろうなぁ。
宇梶:親が自営業で、いつが休みとか関係ない環境だった。小学生の頃「夏休みはリゾートホテルに行く」と言うと周りの子に羨ましがられていたんですけど、行って何をしていたかって「仕事」なんだよね(笑) 小学4年生にもなれば、ひとりで電車に乗って商品をデパートに届けて台車で搬入していました。電話の受付もしていたし。それでビジネスの感覚が養われたから、ある意味英才教育だったと思いますよ。
宇梶:家庭環境がそんな感じだったから、社長になることは私にとっては自然なことだったなぁ。あと、目の前でサクセスストーリーを見せてもらったのも、大きかったと思います。
宇梶:野球をやっている時に通っていた「東秀」というラーメン屋さんがあるんですけど、当時は3回も火事になったりしていて。
大変そうだなぁと思って見ていたら、なんと数年で100店舗展開したんですよ。
それが今の「オリジン」。
あと、東府中の整骨院に通っていた頃、近くに野球の道具やキャンプの道具が置いてあるお店があってね。店主と仲良く話したりしていました。それが実は今の「ドン・キホーテ」なんですよ。
宇梶:そうなんですよね。自分の叔父さんもファミコン屋さんで成功していたし、父親も自営業で外車を乗り回すような生活だったし。そんな周りの環境もあって、中学生の頃には社長になろうと決めていたかな。
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